新人の方や3年目くらいの方で、自分の方向性がいまだわからないという方は、自他部門問わず、この人っていいなと言う先輩を見つけると良いことが起きるかもという記事です。
ひとりぼっちの課での新人の奮闘
外接課の中でひとりぼっちで放置状態になった私。
そうしたら、もうあっという間にてんてこ舞い。なぜなら、子会社常駐は私一人。
まず、銀行からの指示は銀行から子会社、協力会社という一応の流れ。
事前に協力会社の方と銀行の方が話をしていても、正式文書はその流れに乗る。
よって、銀行の書類ができたら私が取りに行く。
印は我が社の課長なので、印無しの状態で協力会社の方に目を通してもらい、OKをもらう。
課長が巡回してうちの課に来たら、目を通してもらい、印を押してもらう。
そして、課長(もしくは私)がそれを銀行へ提出。
こういう事務作業も、突如一手に引き受けることに。
そして、今度は本職のプログラミングやらのお仕事。
情けないほど改めて最初からなので、本当に右も左もわからない。
ということで、協力会社の方の1人の方の下につき再度教育。
この方、普段は面白くてちゃらんぽらんなのですが、仕事になるとめちゃくちゃ厳しい
(今後は部分的に「協」と略させてもらいます)
席も隣になり、普段はたわいもないこと話しているうちに、ふと仕事の話をされる。
そして突如、「今のメモとった?今さ、ちょっと仕事の話したんだから、ちゃんと聞いて大事だなと思ったら、何でもいいからメモするんだよ!」
そしてプログラミングの席でこの方が仕事をしていたら、
突如「おーい、ちょっと来い」飛んでいく。
私「はい、何でしょう」
協「このあとお前ならどうする。どういうコマンド打つ?」
私「えーっと・・・」
協「この前に言ったろ?それでメモとってたじゃないか。それ見ろ」
私「○○です。」
協「そういうことだよ。メモして終わりじゃなくて、理解してないとメモも意味ないぞ」
あとは協力会社の方々が設計してコードまで落としたものを、必死こいてひたすら入力。
結構なボリュームなので、1日がそれで終わるなんてしょっちゅう。
他の方も同じで、設計書を書くときに、ここ自分ならどうするか書いてみなとか。
もう実践で、とにかく叩き込まれる。
今までとは全く違う。毎日がめまぐるしい。
そのうち、昼食も協力会社の方や銀行の方と社食に行って一緒に食べるように。
そうしないと理解が追いつかないし、人となりを知るにはこういう場が結構大事。
自分を知ってもらうのも。
ある日緊急トラブルが発生する・・・
そして、1年目のある日、定時後にシステムトラブルが発生。
うちの外接がおかしくなると、他のシステムにものすごく影響が出る。
何と言っても、うちのシステムが企業との受け口なので、振込が遅れようものなら、大変な事態で銀行の信用問題に関わる。
ということで0時までには改修して、各所に迷惑をかけないようにするのが、まずは大命題。
私はたまたま社内のことで残っていたときに、このことを知る。
まだ残っている銀行・協力会社・メーカーの人で対処を考える。
自分はとにかく邪魔にならず、何か声がかかったら対応するように待っていろと指示を受ける。
しかし、らちがあかない。
ここで、銀行の課長があいつを呼べとなった。
あいつとは先に帰っていた私の教育係の方。
もう定時後なので、友人と酒を飲み始めていたらしいが、事態を聞いてタクシーで飛んできた。
すぐにその人が来るまでに調査済のことを知らせる。
その方を中心にトラブルの原因の特定。
そして、私に「おい。○番のキャビネから、○番のファイルもってこい」
またしばらくして別の方も含めてその指示。ファイルがテーブルに広がる。
どんどんすぐに持って行くと、みんなでじーっと眺めながら考えている。
そして、その方がデータとコードとフローチャートを見て、何かに気がついたようで、パッと一言。「わかった。多分、ここがイレギュラーデータが流れてきたことによって、緊急アラート出してる。これはかなり特殊な変なデータだから、うちが受け入れてしまった。」
その方を中心にテスト機で検証。同じデータを流す。同じ現象が再現。
すぐに受け口プログラムの修正。
その企業のシステム部門に連絡して同じデータを送ってもらう。
そしてはじく。
改めて向こうの修正データを流してもらって完了。
流れたということで、この方は
「じゃ、オレ帰るわ。あとはお願い。友達と飲んでたから合流しなきゃ。明日午前半休で」
とさっと帰って行きました。
トラブル感知したのが19時頃。残業組で1時間半考えて、その方の到着が20時半頃。全部完了したのが23時。本当にギリギリでした。
私が、圧倒されたのは「本気のこの人、凄い…」です。
しかし、周りの人たちは当たり前というか、やっぱりあいつらしいし、ここ一番で頼りになるという雰囲気。
しかも、定時後なのに、すぐにやってきて中心になる。
全てを動かしてピンポイントで問題を見つけ、解決したら、さっと帰る。
「もうなんなのこの人…」
周りの人たちだって、一流の人ばかり。
でも、この人ってなんか職人というか「プロ」という感じを受けました。
その後の私の心持ちの変化
このトラブルを境にこの人からできるだけのものをどんどん吸収して自分の物にしたい。
そして、他の人とも仕事して自分のものにしたいという感情。
今思えば、なにも知らないピヨピヨではなく、ちゃんとした会社の一員として働くことの意味を知った転換期でしたし、なぜ自分だけ過酷な一人にされたのかの意味もわかりつつありました。
要はうちの会社自体のスキルはそこまでなくて、子会社としての立ち位置。
協力会社の人たちにどのように立ち回ってもらうか、銀行の技術的支援を協力会社に渡す役割。
でも、この一人きり状態になると、自分が動かなければ連絡役にも普段の取り組みもトラブルになったときどういう風にして連携すれば解決するのかなどをプロフェッショナルの方々から直に教えてもらえるし、しごかれる。
ここから、私の認識は教育してもらっている教育係の方というより「師匠」と思うようになりました。
今でもそう思ってます。
プロってこういう人のことだって。
このあとの2年目は2000年問題の取り組み。
もう対応は銀行としては終わっていたので、それの確認と土・日のどちらかを契約している各企業とのテストを1ヶ月に2週行うことを半年超。それの担当は師匠と私と銀行の課長で。
他は新システムの会議に出席。一応子会社代表なので。
協力会社の方と一緒に。発言なんてできませんでしたが。
そうこうしていたら、あっという間に1999年の年末。
だけど、2000年問題のトラブル待機に私の名前がない。
そして課長に言われるのです。
「お前は来年から拠点が変わるから外れることになった。
来年頭からはここだから、そっちに出社するように」
そこはあるシステムメーカーの1拠点でした。
ここから、また私の人生の歯車が動き始めるのです・・・
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