幼稚園の最大の思い出
桜餅を食べたら、卒倒して倒れたことが今でもフラッシュバックする話
前回の「生い立ちと水泳」でも書きましたが、小学校に上がるまでは、生まれてすぐに市川市行徳に住みました。
前回はいきなり水泳のスクールにぶち込まれた話でした。
この水泳の記事の話の続きはまた別の記事で。
今回は幼稚園の話。
今は3年保育と2年保育があるようですが、私は2年でした。
そもそもその幼稚園は2年しかなかったような。
正直に言って、幼稚園自体の記憶はあまり無いです。
ただ、覚えているのは隣に小学校があったこと。
それよりも強烈なのが、桜餅を食べて気絶したこと。
もう前後の記憶があやふやでなんとも言えないのですが、配布された桜餅を葉っぱのあたりまでがぶっといった瞬間、気持ち悪くなり卒倒。
目の前が暗くなる瞬間まで。
ここまではしっかり覚えています。泡も吹いていたのでしょうか?
そのあとどうなったのかはわかりません。
親にも怖くて聞いていません。
よって、桜餅は自分の中で嫌いというより、禁忌な食べ物として記憶されました。
そんな幼稚園ですが、当時は新設だったと思います。
でも、よーく、今思い出すと、きちんとしていたと思います。
当時の行徳って、本当に何もない。池があちらこちらにあったくらい。
でも上場企業とかの社宅とか国家公務員の宿舎が多かったと親からは聞いていました。
幼稚園のアルバム
ここまで書いていて、ふと自宅に親からもらった幼稚園のアルバムがあったのを思い出して引っ張り出しました。
見て、ビックリです。
私、第2回卒園生(年少から入っているので実質1期生)なのです。
しかも園舎はプレハブ。
時代なんでしょうね。11ページほとんどが白黒。幼稚園の全景と先生の紹介(教室バック)と活動2ページがカラー。
で、ペラペラめくると、なんとなく記憶がぼやっと思い出します。
盆踊りや定番の芋掘り。千葉こどもの国にも行っていたらしい。
運動会も、小学校並みにちゃんとしていたみたいです。
こういうこともあり、この記事を書くにあたり、親に聞いてみました。
(桜餅以外)
まだ埋め立てたばかりの、埋め立て地ということもあり、まだ「これから街を作る」という段階だった。
何もないところなので、東京の方なら理解いただけると思いますが、地下鉄東西線一本で都心に出ることができる。
それで、先ほど挙げたような企業や公務員の家族用の社宅系がどんどん建てられたとのこと。
ちなみに、うちの親の勤務先は上場企業とかではないです。
たまたま社宅を建てるときに、そこになったという経緯らしいです。
意外と覚えているもんだなと思いました。
風景も幼稚園も思っていたのとほぼ同じでした。
懐かしいものです。こういう写真は当時に感覚を戻してくれます。
また、次回の記事でお目にかかりましょう。
