幼児期の記憶って残っていますか?

生まれてすぐの「0歳」の記憶

生まれは東京葛飾。母の実家です。
でも、そのときの親の住まいは千葉県市川市。

実はここまでのちょっとした戸惑いは出身地ってどっち?

一応、小学校から葛飾に移ったので東京葛飾としています。
あとなんか響き的に。笑

そんな感じで市川市行徳で幼少期を過ごしました。
ただ、埋め立てが進んで間もない場所の当時父の社宅に住んでました。

覚えている範囲での記憶は、母の実家で産着を着て縁側近くで寝ていた。
自分の上には鳥かごがあり、小さな鳥がいた。

こんな情景。

あとでそんな話を家族にすると、本当?って必ず言われます。
それは、その鳥かごで産着を着ているのは「0歳の時」だから。

でも思い出せます。今でも。
日差しが鳥かごにさしているとか、周りが明るい感じとか。

なんなんでしょうね。自分でも不思議です。

「ひ弱な2歳児」が水泳スクールにぶち込まれた

いきなりの水泳スクール

そんな生まれの私。でも、とにかく体が弱かった。
風邪も引くし、体も大きくならない。

そして、近くのスイミングスクールに通わせることに。
しかし、2歳でした。

今考えればよく通わせた気がします。

もう当時の最初は覚えていませんが、すぐに小学生と同じコース。
きっと、今みたいに幼児コースなんて無かったんだと思います。

そうなると普通の水泳の教室です。
なので普通に筋トレとか体操。そして柔軟。

それで、バタ足とかの訓練。
そんな感じでどんどん次はクロールなどと進んでいくわけでした。

一番の思い出

一番の思い出は、その頃友達になったお友達(年上)と話してたら、コーチに怒られました。
そして二人ともプールサイドから抱えられて、2コース分くらい投げ飛ばされたこと。
まあ、当然溺れませんし、水が怖くなったなんてことは無いですが、ちゃんとコーチの話は聞こうと思いました。

当時苦労したのは平泳ぎ。
今はOKですが、当時はスタートとターン以外に頭が水の下に沈んではだめだったのです。
でもどうしても沈んでしまう。

ここで何度も級が上がるのが遅くなりました。
3回くらい試験に落ちたかな。

そんなこんなで意外となじんだ私は5歳にして全ての泳法をマスター。
(そりゃ2歳からそんな環境にぶち込まれてる訳なんですから)
要は1級。

でもここで難点が。
これ以上は選手コースになり、小学生以上ではないと入れない。
しかも毎日トレーニング。


よって、1級止まりで約1年間トレーニングを続けることになりました。

水泳とはこれからまだまだしばらく付き合っていくのです。

でも、今でも泳ぎは得意な方でです。
さすがにバタフライはできませんが。笑

次の記事はこちら