幼児期の遊びって何をしてましたか?人によってはもうゲーム機があったり、私のようなおじさんは試行錯誤して遊んでいたそんな話です。

幼稚園時代の遊び

幼少期の友達(社宅の子近所の子

幼稚園から帰ってくると、同じ幼稚園の子や小学生の子もいました。
でも、なぜかみんな女の子なんです。


これは、母の影響も結構あって、私を産んだのが24歳の時。
よって、右も左も解らないので、おなじ社宅のお母さんに聞く。
その子供がみんな女の子ということが発端。

遊びとしては、本当に女の子と一緒。
ままごと。ゴムとび。など。
詳細はほとんど記憶にないんですが、いつも社宅のそれぞれの部屋や社宅前で遊んでいたときには、みんな女の子でした。
しかも、私も女の子な見た目なので、知らない人が見ても違和感なかったと思いますね。

幼稚園の友達

先ほどおなじ社宅の子は女の子と書きましたが、隣のマンションには男の子もいました。
この男の子と遊ぶときは、男の子全開。
当時の行徳は前にも少し書きましたが、埋め立てまっただ中で、まだ何もない区画に雨水とかが貯まっていて、あちらこちらに池がありました。


今の都会の子わかるのかな…。
棒にスルメつけて、池に投げる。
しばらくすると、ザリガニがはさみで挟むのがわかるので、釣り上げる。
もう池の周りには、そんな男の子たちがいっぱい。


そして、大きさとか比べて池に戻すか、デカいのを持ち帰って、しばらく餌やったりして池に返すとか、そのまま昇天させてしまったり。

他にも、オタマジャクシも取れたので、そこそこ捕まえて持ち帰り。
基本的にこやつらはカエルになるので、速攻で親に言われて池戻し。


しかし、1回だけやらかして、放置したままベランダでカエルになりかけていたところを母が発見。
本物のカエルになる前に池に返してあげました。

自宅での一人の時

夜や一人留守番の遊び方

基本は勉強。ドリルとかやったり図鑑を読んだり。

あとは「トミカ」。今でも人気ですが、結構ガチでした。
自前の車体も30台くらいありましたし、トミカビルの初期持ってました。
道路もあったので、街作って遊んでましたね。


あとは「ダイヤブロック」。こっちもガチ。
レゴではないのが時代です。
パーツで買ってもらっていたので、図鑑見て建物とか乗り物とか。


例えば先ほどの街に自前のビル作って、ドンっておいたり、デカい船とか作ってそこにトミカ入れて運搬船みたいなの作ったり。

そこそこそういうものを買ってもらっていましたが、よく考えると、ひとつも完成品無いんですね
自分で何か参考にして作る。創意工夫してました。色とかもこだわったり。

もしかしたら、今のものの考え方(構造化)とかに影響してるのかな?
まあ、それは言いすぎでしょうか。笑

大きな転機

このまま隣の小学校へとは行かない

そして、小学校に上がるのですが、ここで大きな転機。

父は工業高校卒で、私が生まれる前くらいに二級建築士を取得。

その後に私が3歳くらいの時に一級建築士の資格を取得します。

ここで、父は一大決心をするのです。
要は独立して、自分の事務所を構えることに。

そしてその場所は、今はURと言われていますが、当時公団と呼ばれていた葛飾新小岩の新築の団地に居を構え、そこで事務所も一緒ということに。

よって、ここで家族とともに引っ越し。
元のルーツの葛飾に戻るのです。
よって、幼稚園までが市川市行徳。小学校は葛飾区新小岩となりました。

小学校編はまた後ほど。


では、別の記事でお目にかかりましょう。