別れは突然にとは言いますが、自分がふがいないときの別れは心を果てしなく揺り動かします。そんな経験のお話

まだ元気な椅子に座っている「はぴ」

意図に反する家族の事情

今回は構成なんか考えずに書いていきます。

はぴがもうすでに5歳をむかえて、壮年期に入った頃。
私の調子は一向に上がらず、精神科の薬も模索しながら、とにかくあがいていた頃でした。

しかも挙げ句の果てには、謎の肝臓病になってしまい、1ヶ月半もの入院をする始末。
(これは未だに原因不明。またいつかことの顛末は別記事で)

退院してもおかしいまま。
精神も異常を
きたすようになってきました。
と言うより、動けないのです。

しばらくすると、はぴの様子がおかしいことに夫婦共々気がつきました。
食が細くなっている。


ただ、こういう時はおなかを押すことで嫌がったりするかで反応を確かめる。
それには嫌がらない。

食が細いと言ってもペレットは少し、水も少し。
でも、青梗菜の生は食べる。

本来はここで、病院に連れて行けば良かった。
しかし、二人とも判断に躊躇した。


私は調子が悪い。奥さんも急には休めない。
そういう言い訳を作ってしまって、先送り。

そうこうしているうちに、あるとき私の両親から電話。

父の実家で祖父の最後の法要があるから、絶対参加。
しかも広島。

最初は本気で断りました。

理由は2つ。

  1. そもそも、私の調子がおかしいから動けない。
  2. それに、はぴの様子がおかしいから、目が離せない
  3. しかも、その日は平成25年3月31日。
    こんなの私も奥さんも絶対いけません。


    なぜかというと、4月1日は当然年度始まり。

    よって、私は当時仕事に行っていた会社には出社。
    そのほかの日は融通を利かせてもらっていたので断れない。奥さんも同様。

と言っても、問答無用。
地方都市大家族あるあるで家長であるおじさんが決めたので絶対。
しかもこれが最後の集合。
で押し切られました。

とにかく用事を済ませる

法事はさっさと済ませて帰る

なので、とにかく前日(30日の土曜)入りで31日(日曜)にとんぼ返り。

もう心配で、とにかく十分な取りうる方策をとって出発。
向こうでのいろいろなことは滞りなくほぼ最終の新幹線で帰り。

まっすぐ自宅へ直帰。

すぐにはぴの状態確認。

完全に弱っていましたが、息はある。

ですが、私がなんとか抱っこしている最中に息を引き取りました。
私たちが帰ってくるのを待っていたかのように…

あの感覚、今でも忘れられません。
親族の見送りは何回かしていますが、腕の中で冷たくなっていき、はぴの生命力が抜けていく感覚。
そして、固くなって行く感覚。

襲ってくる怒りと無常観。

やっぱり予想通り行かなければと言うこと。
そして一番苦しめたのは、自分の甘さ。
自らが、病気とは言え、判断を間違ったという罪悪感。
そして、自分の腕の中ということとで半狂乱になったのは覚えています。

ペットを飼っていらっしゃる方は、このフレーズはよく知っておられる方も多いと思います。

「「はぴ」は虹の橋を渡ってしまった…」

それからは、ちゃんとペット葬儀をしてくれるお寺さんを探し葬儀。
ちゃんと葬儀をしてくれていたので、骨とかもちゃんと説明してくれたり。

なんか親族よりもぽっかり穴が開いた感じは大きかったです。
不思議ですが…。

この件はかなり危険な状態で行われたのです

ちなみに、この一件。家族も親族も知ってたのに強行されたのは、未だに許していません。
そもそも、はぴ以前に私がおかしいのは向こうでも散々心配されました。
だったら呼ぶなです。


もし、現地で私が何かの拍子で事故にでも遭ったらどうなったのか。
そういうことも言ったのです。でも強行された。


これは、今思うと父の親族の立ち位置の問題もあったと思っています。
詳しくは話しませんが、断れないのです。
特におじさんの要請には。

はぴの遺影

写真がないので、実はこれが遺影です。
これはスマホで撮っているので、必ず他にも写真はあるはずなんです。

まあ、これはいまさらなので、胸にそっとしまっておく思い出です。

以上になります。

「はぴぞう!いつもしんどいときに助けてくれてありがとう!」
「弟分とも仲良くしてやってくれよな!」