代表個人情報
氏名及び生年
髙橋 幹和(たかはし みきかず)
1974年(昭和49年)生まれ
東京都葛飾区出身。
それ以降も、基本的には葛飾区在住。

学歴
葛飾区立青戸小学校 卒
葛飾区立青戸中学校 卒
東京都立両国高等学校 卒
私立 専修大学商学部会計学科 卒
このように一時的に幼少期などに葛飾区以外に住んだこともありますが、小学校以来は葛飾区で育ち、社会人になり、結婚後も葛飾区に住むという「葛飾で生まれ育ち、現在に至る」という経歴になります。
代表経歴
新卒社会人時代(旧都市銀行子会社のシステム子会社へコンサルタント候補として入社)
- 1~2年目
親銀行のシステム開発に従事。大規模システム開発の一端を担う。
且つ、親銀行から受けた指示内容を自社が実開発を行う協力会社への指示出し。
もちろん、開発自体のプログラム作成もいちから勉強しながら、トラブルシューティングの方法を学ぶ。
さらに、要件定義の実務を協力会社の方々から勉強・実施。 - 3~4年目
親銀行システム担当から離れ、某大手システム会社との「新金融管理会計システム」の共同研究及びシステム化メンバーに推挙され、着任。
着任当初は、この「新金融管理会計システム」の考え方自体が、米国で発展していたものなので、それを日本の商慣習や金融機関を中心とした汎用性を持たせるために、完全なる日本向け再構築担当(当時まだ日本になかった用語を生成するなど)。
その後、その日本語化を完了した後、このシステムをどのようにユーザが使用しやすいのかの表示形式やデータ蓄積方法の考案と実装。この際に要件定義にも参加。
この頃から、各地の営業に同行して、コンサルタント兼システム開発担当してコンサルタントへ業務シフトして行く。 - 4~8年目
4年目の際にシステム部所属なのにもかかわらず、SEの仕事がほとんど無くなり、コンサルタントとしての仕事がほとんどになったので、正式に営業金融コンサル部へと移動。
完全にコンサルタントとしての活動のみになる。
ここからは、その後はほぼ主担当として、金融中心の管理会計及び業務改善を数十以上(地銀・証券会社などいろいろな金融機関)を担当。
(ありがたいことに私指名も多く、地銀では口コミも多く講演経験あり)
ただ、この頃になると、金融機関だけでは物足りなくなり、他業種へのコンサルティングを行うことが願望として芽生え、これまでにいくつかのコンサルティング会社からお声がかかっていたので、そちらへ転職することになる。
しかし、感謝しなければいけないのは、かなり引き留めがあり、3ヶ月近くかかり、役員会議の議題になるなど、さらに好条件もあり、この頃は若かったということと自分の可能性にかけたいという気持ちが大きく、丁重にお断りして、新たな道を進むことになる。
転職第2社目時代
- 転職1年目
上場したばかりのベンチャー企業に近い状態だったので、ある意味なにもかが整っている前のきっちりとしたいわゆる銀行子会社の堅苦しいということがない良い部分もあったが、それはそれで部門間の調整がしっかりしていない状況。
つまり、責任の所在が営業部にあるのか、コンサル部にあるのか、開発部にあるのかがはっきりしなかった。そのため、その業務棚卸しと、営業改革に強いコンサルティングを売りにしているので、そのコンサルティング方法を、中途採用でコンサル経験がある人たちで固めた時期。
実案件も序盤にいきなり任されたが、ここは前職の経験で感覚をつかんで展開。独自のオリジナルコンサルティングツールも開発したりして、この会社のコンサルティングとはと言う基盤作りの時期。
即戦力として雇用されているので、大企業も分野問わず対応。または、中小企業も対応することもあり。 - 転職2年目
この頃になると、課長に昇進。実案件が大企業担当が多くなる。この理由は利害関係者が多くなるので、戦略(目指す方針)と戦術(それを実現する方法論)がバラバラだと、必ずその案件は動かなくなるので、それを金融コンサル時代に培っていて、この会社でもその力を発揮したこともあって、大手中心の主担当が多くなる。
それと、中小企業は別の担当課長がいるが、数が多いので、副担当として相談しながら、コンサル部隊の人的振り分けなども行う。
そして、最終的には筆頭課長兼部長代理として、部長不在のコンサルティング部門を実質的に統括。対外的には部長として紹介され、顧客対応や案件管理、部門運営を担当。 - 転職3年目
ここで、転機が起きる。
会社として将来協業を目指す企業の営業改革及びシステム導入案件が役員で決定。そこで、本来は元コンサル部の部長だった役員が受注条件には担当予定(別の部の担当役員になっていた)だったが、結局いろいろあって、私に白羽の矢が立つ。
しかし、納期は短い、要件もしっかりしていないというのを会議の場で初めて知り、しかし受注済ということもあり、もうひとりの部下のコンサルと常駐して(受注条件でもあった)奮闘。
(その間に司令塔がいなくなったこともあり、各々が分担する羽目になり、コンサル部が混乱した)
そこで、なんとか完了させることができたが、お客様の方から、「ここまで申し訳なく思っていたが、髙橋さんは一度精神科に行ってもらって、休んだ方が良い」と進言していただき、そのまま休職。
結果、会社から退職勧告を受け、退職。
転職3社目(元の会社へ戻る)
- 再転職1年
この私の状況を知った、元銀行子会社の事業部長から電話。
そして、元の会社のコンサル状況を知る。
端的に「髙橋の後任が退職希望を出しているが、ノウハウ的に再後任を選定しているが、心許ない。なので、1年間の支援をして欲しい。いずれはその状況によって元に戻ってきてもらいたい」というオファー。
まあ、他のコンテンツもあるので、いずれはそちらもということで、病気との兼ね合いだけお願いして、過去の非礼もあるので受託。
そして、約束の1年が過ぎ、理由としては曖昧のまま(おそらく耐えられないという判断)で、1年で契約終了。
その後(事実上のフリーランス)
その後は派遣だったり、契約形態は様々だったが、基本的には企画部系の仕事をサポートする形式で仕事をすることになる。
これは、病気との絡みもあり、条件的には病院の日は休めるなどの条件のみ。
仕事としては社内SEやプロジェクトのサポートがほとんど。
ただ、職務経歴書が異様(プログラマーからスタートしてコンサルタントの部長格まで行っているが、そのスピードが異様に早いのに、今は派遣みたいな感じ)なので、結果として経営相談をお願いされ、受けることができる範囲で行うことになる。
一番長いのは、社内SE兼社内コンサルとして10年弱所属した会社もあった。
現状
病気もかなり安定しているので、今まではフリーランスとして活動していたが、屋号を掲げてしっかりとした基盤をつくり、今まで培った一気通貫の知恵と技術を社会に貢献することが目標となっている。
※なお守秘義務および関係者への配慮から、企業名・案件名等は掲載しておりません
